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ブライダルプロデューサー 藤田徳子の幸せ会議(BRIDAL PRODUCER NORIKO'S NOTE)

記聞(気分)Go For Broke!(当たって砕けろ!)

 大相撲夏場所、今回も外国人力士の活躍が目立った。優勝も、モンゴル出身の大関日馬富士に軍配が挙がり、外国人力士としては、8人目の優勝力士となった。この背景には、相撲界やファンの大相撲に対する考え方が「日本が世界に誇る国技」から他のスポーツと同じように「レベルの高い職業としてのプロスポーツ」と変遷してきたことが大きいと思う。外国人力士の台頭に関しては、民族的な反発ややっかみなど未だに否定的な考えもあるようだが、昨今、日本人の若者たちに角界入りを希望するハングリー精神の強い人材が少ないことも影響していると言えるのではないか。

 外国人力士の活躍を語るうえで忘れてはならない英雄がいる。その人物は昭和39年、大相撲ハワイ巡業の際に元横綱前田山からスカウトされた。当時、バナナ運送会社で運搬員をしていた元フットボール選手、後の元関脇高見山大五郎だ。

 彼は、来日直後の不慣れな異国での生活や、日本人の私たちにとっても特殊だと感じる相撲界での苦労エピソードを自身の著書の中で数々語っている。「親方から5年間衣食住を保障すると言われ来日したが、現実は甘いものではなかった」、「スモウ・シチュー(ちゃんこ)の味になじめず、こっそりケチャップをかけて食べていた」、「帰国したくても親方にパスポートを預けているから帰国できない、一人になりたくて山の手線に乗って時間を潰しストレスを発散した」、「股割り稽古はリンチだと思ったが、『目から汗が出た』と強がった」など。異国にやってきた若干19歳の青年は、想像を絶する辛抱と努力の結果、来日8年目にして外国人初の優勝という快挙を成し遂げた。表彰式では、当時のニクソン米大統領からの祝電が在日米大使によって読み上げられ、「米国が誇る英雄」となった。

 彼は初優勝した翌年には外国人初の関脇に昇進したが、その後も辛抱と努力を怠らなかった。彼の化粧回しに刺繍された「Go For Broke!(当たって砕けろ!)」、これが彼の信条だ。常々、彼は「40歳まで相撲をとる」と宣言していたが、その引退は39歳11ヶ月だった。引退直前まで休場なしで97場所幕内在位を果たした。彼が体調や怪我に対する管理を人一倍徹底していたことが判ろうというものだ。また、持ち前の陽気さと人懐っこさで、お茶の間の人気者となり、土俵以外のテレビCMやバラエティー番組などにも出演し、相撲のファン層を広げたのも間違いないだろう。

 彼の「パイオニア」魂が、今日の外国人力士たちの活躍に道筋をつけたのは、言うまでもない。小錦をスカウトし、曙を横綱まで育てるなど、現在の大相撲の国際化に大きく貢献した。

 

日本の近代化時代を開いた明治維新、戦後日本のダイナミックな経済復興、現代社会のIT革命など、すべて「パイオニア」たちの飽くなき挑戦があってこそ成し遂げられた成果だ。「パイオニア」には、敵対する勢力も、改革や挑戦の妨げになる事案や課題もたくさんあるだろう。しかし、敵対勢力にひるんだり、障害物を避けていたら、新たな創造はない。また、「これで十分だ」、「これ以上はできない」と現状に甘えていては、自己改革すら果たせない。応援者、協力者のいることを信じ、そして何より改革や挑戦によってのみ得られる成功を信じ、「Go For Broke!(当たって砕けろ!)」。

以上

 

〈追記〉 元関脇高見山は、今年6月16日の誕生日をもって65歳を迎え相撲協会を定年退職する。先日、夏場所千秋楽後のインタビューに応え、「相撲は"彼女"みたいなものだ、これからも生涯一緒にいたい。」と語ったのが印象に残る。成功を成し遂げた「パイオニア」には、ユーモアを口にする余裕が見られた。


平成21年6月1日

藤 田  徳 子


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