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ブライダルプロデューサー 藤田徳子の幸せ会議(BRIDAL PRODUCER NORIKO'S NOTE)

記聞(気分)藤田徳子『38歳!今、こんなことを考えています。』

まだ新年の明るい雰囲気が続く中、
そしてフェアリー・テイルには幸せの絶頂にいらっしゃる
お客様が多い中、不謹慎な話で恐縮ですが、
どうしても私の気持ちを伝えたくてこのメッセージを書かせていただきます。

友人の長女の訃報を聞いたのは昨年の大晦日のこと。
大掃除を済ませ「さて一杯やりながら年越しそばでも食べるかな~」と
思っていた時のこと。
突然、地元の旧友から携帯電話が鳴りました。
大晦日の静かな時間にあまりに突然電話が鳴ったので、
新年会の誘いか、
それとも酷ければ「どこどこで飲んでるから今から来い!」いう強引な誘いかと思いながら、
ぶっきらぼうに「マイド!"あけおめ"には5時間ほど早いけど・・・」と
電話に応じました。
すると神妙な声持ちで
「いや~"結婚式屋"のあんたに悪いんだけど、葬式の段取りしてくれるか?」と。

「・・・どうしたん?親御さん?一昨年お父さん亡くなったと聞いたけど?」
「・・・。」
電話の向こう側の様子が何となく伝わってきて、只ならぬ事態だとすぐに推測がつきました。

同級生といっても友人の友人の友人の・・・程度。
通った中学も高校も違うし、
頻繁に連絡を取り合う相手でもありません。
古い表現ですが・・・彼は「トラック野郎」、長距離トラックの運転手さん。
見かけはちょいとヤンキーですが、素直でまじめな性格で、
私の結婚の際の荷入れや我が家の引越しの際には
「おいよ!」の一言で駆けつけてくれるほど、人情に厚いいいヤツです。
飲み屋も一軒紹介したら「あんたが折角紹介してくれたから使わにゃ悪い」と
機会のあるごとに若い衆(というらしい・・・)を大勢連れて馴染みに使ってくれる律儀なヤツです。
そして、只ならぬ困った事や只ならぬ嬉しい事があると何故か私に電話をかけてきてくれます。
「俺らの周りには、よう勉強しとる人間おらんけん、難しいことはあんたに聞くわ!」と言って。
そんなこんなで怖い感じの風貌ですが、なんともカワイイヤツです。

今回も只ならぬ様子、しかも過去最高に只ならぬ困った様子。
「ちょっと待って。もしかして・・・ゆきちゃん(仮名)?」

いつもの鋭い直感がこんな事にも的中してしまいました。
「今から警察行くけど、どうしたらええんかな?」
「落ち着いて、落ち着いて。自分で車運転せずにタクシーに乗って行くこと。
 考え事しながら事故でもしたら大変。
 とにかく気をつけて!」
「また、電話する。取りあえず葬式の段取りだけしてもらってもええ?」

ゆきちゃんというのは、23歳の彼の長女です。
きちんと説明すると、
彼が8、9年前、ゆきちゃん連れの10歳年上の奥さんと結婚したのです。

結婚の際にも只ならぬ嬉しい事とあって勿論電話をくれました。
私が彼が建てたばかりの新築の新居に行くと、感じの良い美人の奥さんが
豪勢な食事を用意して歓待してくれました。
その時初めて私の同級生がいきなり中学生の親になったのを知ったのです。

当時、中学生だったゆきちゃんは丁度多感な時期でした。
血がつながっていないとは言え、父親になった彼は
持ち前の兄貴肌で、誠実にゆきちゃんに向き合っていました。
幼い頃に前父と分かれてしまったゆきちゃんも、そんな彼を
父親というより年の離れた兄貴のように慕っていました。

只ならぬ事態の際、私に電話をしてくる彼ですが、
ほとんどの相談内容が、ゆきちゃんのことでした。
ゆきちゃんが中学を卒業する頃、
「高校に進学しないと言っている、なんとか説得してくれんか?」。
高校に入学した頃、
「バイトをしたいと言い始めた、学校帰りのバイトが心配で・・・。」など。
それほど彼が真剣にゆきちゃんのことを心配していたのでしょう。
彼の要請で、私は数回ゆきちゃんと会いました。
その時のゆきちゃんの純粋に未来を見つめるまなざしが今でも忘れられません。

昨年の大晦日。
ゆきちゃんは、先々の人生に悩んで自ら命を絶ってしまったのでした。

知り合いの葬儀屋にお願いしておいた私は、
新年の仕事始めの日、ゆきちゃんの告別式に向かいました。
「事情が事情だから、近親者のみで式するから。
 気を使わんように、誰にも伝えなくていいけん。
 忙しい時だと思うけん、あんたも来なくていいけん。」
と彼から連絡をもらっていましたが、せめて合掌だけでもと思い、私は出かけました。

10人程度の親族だけのこじんまりとした告別式。
すすり泣きをする彼と彼の奥さんが痛々しく感じました。
祭壇の横に据えられたモニター画面にはゆきちゃんの在りしの
かわいい姿がたくさん映されていました。
ゆきちゃんもお母さん似で美人でたくさんのお友達に囲まれ、
楽しい青春期を精一杯生き抜いていました。
そして、大好きなお母さんとお母さんの再婚相手のお父さん(私の友人)が、
多感な思春期、青春期のゆきちゃんをひたむきに見守る様子が伝わってきました。

なのに・・・「なぜ?」ばかりが、私の頭を行きかいました。

式後、家族に見守られゆきちゃんの棺にたくさんの生花が
盛り込まれている時、
「ゆきはお嫁に行くんよね?幸せになってね」と
彼の奥さんがそっと眠るようなゆきちゃんに言葉をかけていました。

その時、彼が私に近づいてきました。
目を真っ赤に腫らして肩や背中を大きく揺らし泣きじゃくりながら
声にならない声でこう言ってきました。
「忙しい中来てくれてありがとうな。
 嫁さんとも話してたんだけど・・・、
 本当は鳥井(私の旧姓です)には来てもらいたいな~って。
 ゆき、鳥井のことが好きだったんで~。
 精神的に荒れた時でも、鳥井の言うことなら何でも聞いたんよ。
 な~んにもやる気をなくした時でも、
 『鳥井さんみたいになりたい』とだけは言ってたな~。
 いろいろ世話になったな、ありがとうな・・・。」
 
なんともやるせない思いがしました。
私は、ゆきちゃんに十分な励ましをしてあげられていただろうか?
もっと他にしてあげられることはなかったのだろうか?
そして何より、「鳥井さんみたいになりたい」、
そう言われるほど私自身が、人の手本になる生き方が出来ているのだろうか?
いや、少しでも元気にすることができていたのなら、
少しはゆきちゃん家族の役に立っていたのだろうか?

そう思うと、ゆきちゃんがこの世の中に、いや私自身に
何かメッセージを残してくれているような気がしました。

私が少しでも他人様の励みになれるように、
私の仕事を通じて少しでも多くのカップルとその周りの人たちが
幸せになるように、
ブライダルプロデュースとライフプロデュースの新しいスタイルを模索し続けていきます。

数日後、彼から電話がありました。
「おお~!いろいろありがとうな。
忙しいときに、わざわざ来てくれて。
葬式屋さんも、あんたの紹介だったから本当によく世話してくれた。
落ち着いたら、飲みに行こうぜ!!」
まだまだ傷心の様子、
でも彼のヤンキー節が健在だったことに安心しました。

みんな一生懸命生きている、
辛いことを乗り越えて一生懸命生きている、
そんなことを思いながら私もこのメッセージを書きました。

私が少しでも皆様のお役に立てるなら、
そんな思いでフェアリー・テイルを続けています。


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