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ブライダルプロデューサー 藤田徳子の幸せ会議(BRIDAL PRODUCER NORIKO'S NOTE)

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アラフォーウエディング ~生まれ育った大好きな倉敷の町で挙げる~その①

倉敷生まれの、倉敷育ち、

倉敷大好きっこのフジタです。

(今は、すっかり讃岐人です(^_^;))


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私の生まれ育った家も

この『倉敷美観地区』から歩いて5分くらいの

ところにあります。

・・・『倉敷美観地区』は、
  国の重要伝統的建造物群保存地区です・・・


子どもの頃は、この倉敷川で、よくザリガニを捕っていて、

近所の人たちに叱られました。結構深いんですよ~。





ザリガニを追っかけていた倉敷川。

最近は観光客相手の「川下り」なんてあるんですね~。

120527kawakudari.jpg



この日は、倉敷東中学校時代の友人の結婚式。

前日から仕込み・準備で、スタッフと共に倉敷入りしていました。

120527kurashiki-yanagi.jpg



現場仕込みは、前日夜にほぼ出来上がっていましたので、

久しぶりに倉敷をゆっくり眺めながらの現場入りとなりました。

120527legacy.jpg120527MTG.jpg
↑①ほとんどは宅配便で現地入り。
前日に、小さな機材や資材は車に満載で出発しました。
 
 ②前日の最終MTG。
 私が結婚式出席者なので、スタッフが緊張しています。


(スタッフの皆さん、ありがとうございます♪)


街並みは昔と、ぜんぜん変わりません。

路地裏を歩いていたら、知り合いばかり・・・(^_^;)


私、40歳のおばちゃんですが。。。

「ありゃ、のんちゃん?♪

大きゅうなったな~(大きくなったね)・・・」

と親しく声を掛けられました(^_^;)

小さな町のいいところ、みんなが知り合いです。

120527kurashiki-machi.jpg



「旅館くらしき」さん。

うちに県外からお客様がいらっしゃると

必ずお通ししていました。

私の結婚の際の両家顔合わせも

結納後の食事会も、「旅館くらしき」さんでした。


倉敷は、本当にいいところです♪


倉敷は、江戸幕府の天領に定められ、

この『美観地区』に倉敷代官所が設けられました。

この倉敷川を使って、備中国南部の物資が集められて

いたため、倉敷川畔に蔵が立ち並んでいます。

この「旅館くらしき」さんも、もとは砂糖問屋さん。

倉敷川の畔から鶴形山南側の

街道一帯に白壁なまこ壁の屋敷や蔵が並んで

今も天領時代の町並みを残しています。


120527ryokankurashiki.jpg



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"アラフォーウエディング"の会場、

「倉敷アイビースクエア」さん。

アーチが象徴的な広い東正面玄関です。

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でも、倉敷の地元の人たちは、

美観地区側、徒歩の観光客が多く利用する

こちらの西側入り口を『正面玄関』だと言っています。

120527IVY-seimon.jpg



なぜならば・・・。

こちらの西側入り口には、

「倉敷紡績」の名前が今もなお掲げられています。

『倉敷アイビースクエア』は、

江戸幕府の代官所跡に

1889年(明治22年)に建設された倉敷紡績の

創業の土地で、そして旧工場なのです。

現在も「倉敷紡績」さんの

登記上の本店所在地なのです。

倉敷紡績の工場だったころは、

こちらの門を正門として利用いたことから

その時代から馴染みのある倉敷の人々は

こちらを「アイビースクエア」の正門だと言うのです。

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1642年(寛永19年)に倉敷代官所が置かれ、
 
この倉敷代官所跡に

1889年(明治22年)に倉敷紡績が建てられ、

1973年(昭和48年)に、

現在の倉敷アイビースクエアに至った痕跡です。
 
その土地のルーツを辿ると、歴史のロマンを感じます。


子どもの頃、倉敷代官ばやしを

夏祭りに踊っていましたが、その一節に

「倉敷、くらしき。代官、代官、百姓の味方~♪」

とあります。

倉敷の人々は、この土地が天領であったことを誇りにしているんですね。

120527IVY-tenryou.jpg



『アイビースクエア』の由来となった

赤レンガの外壁を覆う『蔦』には理由があり、

倉敷紡績の工場であった頃に工場内部の温度調節の為に

植えられていたそうです。

・・・と子どもの頃、お祖父ちゃんに教わりました。


蔦の絡まるノーブルかつファンタスティックなこの建物は

平成19年(2007年)11月30日に経済産業省より

「近代化産業遺産」に認定されました。

120527IVY-tuta.jpg



倉敷の人たちは、『倉敷アイビースクエア』も『倉敷美観地区』も

こよなく愛しています。

愛し方はいろいろありますが、

まるでガラスの箱に入れてしまって鑑賞するような愛し方でなく、

毎日親しみを持って使い込むような愛し方なのです。

倉敷の人たちは、決して特別な観光地として捉えていません。

日常生活の一部なのです。


私も小学校の頃は、蝉取りに、ザリガニ捕りに、

中学校の頃は、ブライスバンドの部活の練習で、

高校時代は、通学路、

帰りに寄り道しておやつを食べたりしました。

大人になってからは、界隈を飲み歩きです・・・。

まさに・・・ 愛すべき【 ふるさと 】です。

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"アラフォーウエディング"の新郎新婦。

新郎新婦は、小学校も中学校も同じで、

新郎が一つ先輩。

狭い倉敷にも関わらず、

2~3年に知り合うまで顔見りじゃなかった!!って・・・

120527shinroushinpu.jpg


アラフォーの私たち。

友達同士が集まると必ず、結婚や恋愛の話に。


彼女はいつも

『絶対!!

 倉敷以外には嫁に行かん!!

 倉敷の人と結婚するんじゃ!!
 
 倉敷で結婚式するんじゃ!!」
 
って言っていました(^_-)


私は、

「そんなに選択肢、狭くしたら、嫁に行けんわ~」

と申しておりましたが、見事に夢がかなったネ(^_-)


倉敷で生まれて、

倉敷で育ち、

倉敷で出会い、

倉敷が大好きな二人。


そんな二人が、

40年間培ってきた

かけがえのない友情に囲まれて

愛してやまない倉敷の町で

結婚式を挙げる!!


******************

これこそまさに

【ふるさと ウエディング】

【オリジナル ウエディング】

ではないでしょうか?


ブライダルプロデューサー歴15年。


私はこう思っています。


ステキな☆結婚式は、

ユニークな場所を選ぶことでもなく、

派手なパフォーマンスや、

華美な装飾を競うことでもなく、

珍しい引き出物を選ぶことでもなく、

「私たちはこんな風に二人で生きていきます」と

宣言する場だと。


自分たちが、この世に生まれ、

二人が生きた証を

『ふるさと』に遺すこと。


シンプルだけど、

これこそ、本物の結婚式。


二人が積み上げてきた人生、

人望こそ、

素晴らしい演出に仕上がります!!


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【アラフォーウエディング 

~生まれ育った大好きな倉敷の町で挙げる~】

当日の様子は改めて!!


関連タグ:ふるさとウエディング 現場レポート 瀬戸内アート ホテル・バンケットウエディング

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